PCが壊れてしまったの話

おはようございます。

気がつけば、10日以上更新感覚が空いてしまって自省しているところです。

一つ、言い訳をするならば、メインとして使っているPCのDISKが壊れてしまって、てんやわんやな状況でした。

仕事の重要なコード関係は、Bitbucketに保存していたので最悪の事態をさけることができましたが、バックアップをとっていなかったので、全部イチから設定し直して、アプリをインストールして、環境を整えてとリカバリーに奔走していたこの一週間でした。

人生の中で最もバックアップしておくことの重要性を強く感じた期間でした。

このことに限らないのですが、どうして人は、

「痛い目をみないと学習できないのか」

ということを強く感じます。

インプットしたものを本当の意味で、自分の血肉とするのには痛みが必要だったりします。

今回のことでも、バックアップを作ることの重要性は理解していたはずです。

だからこそ、dropboxEvernote、bitbucketなどを利用してリスクを分散していたのですが、結局は必要なデータが消失してしまうという事態を招いてしまいました。

で、ようやく重い腰をあげて、バックアップ環境を整えることを決断しました。

これも結局、

「データが全部消える」

という、大ダメージを受けたからこそ、バックアップをとっておくことの本当の有り難みや効果を知ることになりました。
(逆に言えば、これがなかったらバックアップの効果を感じることはなかったかもしれません。)

まだまだ短い人生しか歩んでいない自分ですが、

「本当の意味を知る」

とか

「はじめの一歩を踏み出す」

というのは、痛い目をみたことの教訓を得ないとなかなか実現できないんじゃないかと思っています。

もちろん、痛い目を見なくても、「学び」や「気付き」はあります。

でも、手っ取り早く自分のモノとしたい場合は、痛い目を見て、その傷を早く直して、次の機会にもっと上手くやるための教材とする。

「貴方が転んでしまったことに関心は無い。

そこから立ち上がることに関心があるのだ。」
by.エイブラハム・リンカーン

どれだけ早く立ち上がって、ついた泥を払い、次に向かえるかどうか。

そうやって、どんどん前に進んでいくような人間になりたいと強く思っています。


と、自分の凡ミスを正当化してみたけど、きっと夢をかなえるゾウの「運が良いと口に出して言う」という教えは、きっとこうやって、起きた出来事から何かを学んでいこうと姿勢を言っているんだと自分を納得させている今日この頃です。

同じ失敗でも、今回みたいな凡ミスとかじゃなくて、もっとアグレッシブな失敗をしたいと思いました。



ご一読頂きまして、ありがとうございました。