知識と知性の違いの話

おはようございます。

全くの私事ですが、最近の作業中の「My favorite artist」はサカナクションです。
文章にするのはなかなか難しいのですが、どこか電子的(テクノっていうの?)な音楽がパソコンをぽちぽちするのにあたってピッタリなのです。

オススメは、
「ミュージック」

「夜の踊り子」

アルクアラウンド」

等が最近のヘビーローテーションですね。

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今日は、「知識と知性の違い」の話です。

ご存知の方も、ご存知でない方も、まずは「無知の知」の言葉についてからです。

古代ギリシアの哲学者であるソクラテスの考えの一つとして、この言葉があります。
意味としては、

「自分が何を知らないか知っている」

ということですね。

「何を知らないか」これを言い換えれば、「何が足りないか」とも言えます。

自分が「何を知らないか」「何が足りないか」知っている人間は「謙虚」になれます。
(何も知らないのに威張っている人は只の「うつけ者」ですね。)

「謙虚」になれば、人への接し方や知識への探究心などが自然と変わります。

自分が何でも知っているように考えているから「傲慢」になってしまうし、新しいことに挑戦することがないから「惰性」で生きてしまう。

だから、「無知の知」つまり、「身の程を知る」ということが重要なのです。

今日のタイトルの「知識」と「知性」についてですが、

「知識」は「自分はどれだけ知っているか」

「知性」は「自分は100%まであとどれだけかを知っている」

と表せると思っています。

つまり、先ほど解説した「無知の知」に当たる部分が「知性」となります。

いくら「知識」を積み重ねていたとしても、それが全てだと思ってしまえば(知性がなければ)只の物知りさんなだけであって、PCが一般的となってきた現代での重要度は相対的に低下していきます。

また、「知性」なく多くの「知識」を持っている人である程、「自分は万能」であると勘違いしてしまい革新を起こすことはできません。

つまり、重要であるのは如何に「知性」ある人間になれるかというところです。

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で、どうすれば「知性」を身につけることができるのかという部分です。

先ほど解説したように「知性」とは、「自分が何を知らないのか」ということを知ることにあります。

「何を知らないかを知る」ためには、「より大きなもの」に触れる必要があります。

自分の中の小さな世界にいるだけでは、世界には何があり、どんな主義や主張があって、どんな切り口で世界をみれるのかという広がりがありません。

自分の人生のバイブルの一つである「GO」という小説にこんな一節があります。

「いま、お前のこぶしが引いた円の大きさが、だいたいいまのおまえという人間の大きさだよ。その円の真ん中に居座って、手の届く範囲のものにだけ手を出したり、ジッとしたりしていればお前は傷つけないで安全に生きていける。行っていること分かるか?」
「おまえはそういうの、どう思う?」
金城一紀 GO 63ページ一部抜粋

「知らないことを知る」というのは自分が傷ついてしまうことがあります。
万能だと思っていた自分が実は知らないことばかりだと知ることは大人になればなるほど怖くなると思います。

でも、そんな考えは

「ジジくせえ」
金城一紀 GO 63ページ一部抜粋

ですよね。

「円の外には手強い奴がいっぱいいる。」
「ぶちやぶれ、そんなもん」
映画 GO ラストシーンより

ご一読頂きまして、ありがとうございました。